妊婦への処方
医者になって数年目のころであった。救急病院に妊婦さんが受診した。風邪をひいたから薬をほしいとい若い女性だった。救急当番の僕は、風邪で受診しても妊婦さんに薬はだせないとお断りした。そこの病院では、出産はすべて産婦人科医が対応することになっているからだ。
後日、その患者さんをみた産婦人科医ではなく、その上司の部長からクレームが来た。「風邪で受診しているんだから、当直医が風邪薬ぐらいだせばいいだろう。」この件に関して、その部長と激しい討論になった。僕自身は、「妊婦なのだから安易に薬をのまないほうがいい、ましてや風邪なんだから薬はいらない。」と考えていた。産婦人科医にとっては、「具合が悪くて受診しているのだから、風邪薬ぐらいだせ。風邪薬のリスクなんてほとんどないのだから。妊婦だからと全部産婦人科にまわされたらたまらん。」ということだ。
この件を反省し、妊婦に薬をだすのをおそれなくなったし、不用意に心配してださないのが問題だととらえるようになった。たしかに、産婦人科医こそ、いろいろな薬を妊婦にだす。こんな薬だして大丈夫なんだろうかと思っても、産婦人科医はけっこう平気だ。病院にいるころは、「患者さんにこの薬を使いたいのだけど、大丈夫でしょうか?」と産婦人科医に確認することがよくあった。「平気だよ。心配ないよ。」との回答がほとんどであった。専門の産婦人科医よりも、非産婦人科医のほうが不要に恐れていることが多いような気がする。妊娠しているからという理由で、まったく薬を使わない医師もけっこうみかける。もちろん、患者にも説明した上で、本人が望むのなら、薬をだしていいと思う。よっぽど危険な薬はともかく、多くの薬はほとんど害はないのだから。
なんでも怖い。これでは医者ではない。素人だ。怖いから薬をだせない、治せないという医者は、飛行機は落ちるから操縦できないと言っているパイロットと変わらない。パイロットに向いていない。やめたほうがいい。安全に操縦できる自信と経験があって、お客さんの命を守れるのだ。怖いという前に、何が危険で、何が安全なのかを勉強し、見極めるべきである。知らないから怖いのであって、よく知れば本当に危ないことと、安全なことの区別がつくようになる。
今は恐れない。不安があれば、薬の添付文書などで、本当に危険かどうかを確認する。専門的知識で対応できるのは、医者ならではだと思うし、その責務があるとも思う。