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SNS批判

[2018.12.06]

M-1の審査員の評価がどうとかと、SNS上で批判が起こっている。プロの漫才師が評価するのであれば、プロ受けする漫才がウケルことになる。漫才テクニックがどうかというところに主眼がおかれ、素直に面白かったかどうかの視点からずれかねない。そういう意味で、漫才については素人の審査員を導入しているのであろう。「お前は漫才がわかっていない」などの批判は論外だ。漫才がわからなくても、面白いかどうかは、素人だからこそわかりやすい。テレビの企画者もそのような視点から二人を選び、審査員に据えているのだから、それぞれの人が正しいと思う審査をしてもらえばいい。それに対する批判はかなりおかしい。

そもそも面白いかどうかは、個人の主観がかなりはいる。僕自身もM-1などを見ることはあるが、一番面白いと思った人たちが優勝するわけではない。それはそれでかまわないだろう。自分が面白いと思った人が評価されないから、審査員がおかしいというのはお門違いだ。

似たような企画で、芥川賞と本屋大賞がある。芥川賞はプロの作家の目で審査される。すぐれた作品が選ばれる。芥川賞作品を読んでもまったく面白くないという経験は何度もあった。一方で、本屋大賞は、書店の店員さんたちが、みんなで選ぶ。選考基準は、面白い作品、多くの人に読んでもらいたい作品である。文章力から言えば稚拙なものもあるかもしれないが、これに選ばれた作品は、面白い。素人が読んでとても面白い。僕自身は作家ではなく、ただの本好きだ。そこに作家の技巧など、あってもなくても、どうでもいい。要は面白ければいい。面白い本を選びたい。下手な文章でもかまわない。素人が読んで面白い本を選びたいのだ。

もちろん、売れている本が、評判のいい本が、万人を納得させるわけでもない。ベストセラーなのに、自分にはまったくつまらなかったという場合もある。本の評価はひとりひとり別々であろう。もちろん、漫才の評価も一人一人違っていてかまわない。自分の意見が、万人の意見ではないと気づくべきである。

しかし、SNSの流行により、自分の意見を絶対だと思う人が続々と跋扈するようになってきた。そして他の人の意見をけちょんけちょんに攻撃する。自分はこう思うの意見の交換なら意味はあると思うが、相手の意見がけしからんという批判ばかり目に付くようになる。いったい、この世の中どうなっていくのだろう。

僕自身は自分の意見も大切にするが、他の人の意見も大切にしたい。「こうでなければならない」というような絶対倫理観ほど怖いものはない。

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